プラスチックトーキョー『今崎契助』の内に秘めた闘志 -第1話- / 5W1HF

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連載企画「5W1HF」

既存の常識に囚われず、独自の視点と感性で常に新しいものを作り続け、世界で活躍するクリエイターの深部に迫るこの企画。

第2回目となる今回は、現在33歳でPLASTICTOKYO(プラスチックトーキョー)デザイナーである今崎契助氏。

本格的にブランドをスタートしてまだ4年半にもかかわらず『DHL デザイナーアワード』、毎日ファッション大賞の『新人賞・資生堂奨励賞』と立て続けに受賞を果たした同ブランド。瞬く間に頭角を現し、東京を代表するブランドへと駆け上がったのは偶然か、それとも必然か。

そして、デザイナー今崎の想いにはどんなものが潜んでいるのか。その真相を探るべく、話を伺った。

 

PLASTICTOKYO(プラスチックトーキョー)
2013年春夏より本格的にブランド活動を開始。様々な物事がノールール、ノーコンセプトにレイヤー化され混在する現代の東京を強く意識した東京ブランド。あらゆる物質や情報がデータ化される中、衣服の物質性にフォーカスし視覚に訴えかける最先端のデザインを世界に発信する。2016年春夏より東京コレクションに参加し、同年に第10回『DHL デザイナーアワード』、毎日ファッション大賞の『新人賞・資生堂奨励賞』を受賞。http://plastictokyo.jp

 

学生時代のお笑いブームとともに、ファッションに目覚める

僕は、京都の伏見区出身で一人っ子として育ちました。両親は共働きだったので、小さい頃から家に1人でいることが多かったですね。

世代的に学生の頃はお笑いブームで、みんなダウンタウンが好きでお笑いにハマっていました(笑)。
なので、『ごっつええ感じ』とかはみんなリアルタイムで見てましたね。

ファッションに興味を持ったのは小学校の高学年からで、その頃から親に「自分で選ばせてくれ」って言って、自分で服を買いに行ったりしていましたね。

当時から他と一緒というのが嫌だったので、京都の祇園や河原町辺りで古着をよく買っていました。

高校生になると裏原ブームが一気に広まったんですけど、僕はあまりそのブームには乗っからなくて、どちらかと言うとインポートブランドや『20471120(トゥオーフォーセブンワンワントゥオー)』『beauty:beast(ビューティビースト)』とかの少し変わったドメスティックブランドに興味がありました。

今振り返ってみても、それが自分の中で一番影響を受けたブランドですかね。

バイトしては服を買ってという生活を繰り返している中、その頃は音楽にも興味を持ち始めたんです。

最初は『ハイスタ』から入って、そこから徐々にコアなアーティストの曲を聞き始めて、1人で大阪や神戸のライブハウスに行ったりもしてました。

そんな学生時代を経て、18歳の時に文化服装学院に入学するために上京しました。

 

文化服装へ入学するもデザイナーになりたいとは全く思わなかった

元々、僕はデザイナーになりたいとは全く思っていなかったんです。

なぜかというと、手先が器用ではないしそれまでミシンすら触ったことがありませんでした。

ただ、漠然と洋服に携わる仕事がしたかったので、文化服装ではファッションビジネス科に入学しました。

そこでは、手持ちの商品をどのようにアプローチしたら売れるかなどのマーチャンダイジング的なことを主に学びました。

でも、今となってはデザインからでなくそっちから学んだことが逆に良かったと思っていて、自分の服だけでなく競合なども調べることで、より物事を俯瞰して見れるようになりました。

服作りのきっかけは、その学科でミシンを使う機会があってそこで自分の中で「作れるんじゃないか?」と思ったことです。

あと、商品に関しても自分で一から作り出せないかという感覚になったので、2年間のファッションビジネス科を卒業した後に、もう一度文化服装の服装科に入学しました。

その後、文化ファッション大学院大学ができて、そこの1期生としてまた2年間通ったので、計6年通ってるんですよ。結構長かったですね(笑)。

 

作品が売れるも挫折、一度アパレル企業に就職


 

その頃は、誰が着るのかも分からないような自己満足な服を作っていたんですけど、それでは評価されないしもう少しリアルクローズな服を作ってみようと思って、大学院大学の卒業制作の時に友人と『PLASTICTOKYO』の名前で作品を作りました。

主に、グラフィックTシャツをメインとした作品でしたね。

それが、当時新宿にあった『CANDY(キャンディー)』というショップのバイヤーさんの目に留まり、展示販売のお誘いをいただきました。

それまでは、自分のブランドをやるという気持ちはあまりなかったんですけど、チャンスかなとも思ったので販売することにしました。

嬉しいことに結構売れてたんですが、当時は全部自分達で作っていて量産したくてもどこでどうやって作ってもらうかも分からない状態でした。

なので、生産が追いつかなくなりとてもじゃないけど暮らしていけないことを身にしみて感じたんです。

結果的に、これは続けられないなと思って1年未満で辞めてしまいました。

ブランドを続けていきたい気持ちもありましたが、その後は、一旦ものづくりのことをちゃんと学ぼうと思いOEMの会社に就職しました。

そのおかげで、生産のプロセスや自分一人ではなくどうしたら服を量産できるかなど、頭では分かっていたイメージを実際に形にできるようになりましたね。

そこには約4年間勤めて、またブランドをやっていく上での初期費用や場所が決まったりなど色んなタイミングが重なり、今がチャンスだと思ったので退職しました。

そして、2012年の10月に『PLASTICTOKYO』の本格的なデビューとなる2013年春夏コレクションを展示会で発表しました。

明日へ続く

 

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